みきさん ありがとう





ひょうたん島の仲間である、みきさんが、令和7年5月8日に永眠されました。
みきさんは、ひょうたん島がはじまったときから、ずっと活動をしてきたメンバーです。
そこで、たくさんの“ありがとう”を伝えられる場所をつくりました。
みなさんの、みきさんとの思い出やエピソード、みきさんへのメッセージを
ぜひお届けください。
また、お母さまからいただいたお言葉もいっしょに掲載しております。
◆メッセージの送り方
『hyoutanjima59@gmail.com』 までメールでお送りください。
件名は『ホームページ用メッセージ』とご記入ください。
◆メールに書くこと
①書いた人の名前(本名)
②メッセージボードに載せるときの名前やあだ名、イニシャル
③思い出、エピソード、メッセージ(300文字くらいまで)
!注意!
・個人が特定されてしまうような名前や住所などは載せられません。
(みきさんのお名前はそのまま掲載します)
・内容によっては、管理者により編集する場合があります。

お母さまより
娘の実希は・・・

いつものゼコゼコから来る入院、いつものように1週間から10日で復活ね!と思っていたのに、29年間酷使してきた実希の小さい肺はもう限界だったようで、入院して2日目に「すぐ来て!」という急展開。実希とがっちり手を握り合いながら、「あ~~、もうこれでお別れなんだ」と、悲しいのに涙が出るような出ないような、頭はパニクッテいるような?変に冷めているような。
29年間の短い人生でしたが、皆さんと一緒に活動・お出かけ・イベントなど等、楽しみながら本当にいろいろな経験をさせていただくことができ、成長もさせていただきました。29年間は短いかもしれません、でも実希は、誰にも負けない位に太い人生を過ごせたと思います。
実希をずっと支え愛してくださった皆様方には、本当に感謝しております。ありがとうございました。




実希が旅立って15日目にきれいに脱皮した蛇の抜け殻をいただきました。
蛇は「神様のお使い」と言われているので、まるで実希を迎えに来てくれたように感じました。
みんなで蛇のお部屋を作ってくれたので、今後のひょうたん島に金運・水運他をもたらしてくれると思います。


ひょうたん島の実希は・・・

仲元実希は、2025年5月8日に新設された
「ひょうたん島天国支部」に転勤いたしました。
日華斎場に怒られたほど(笑)、本当~~に多くの
皆様に見送っていただいて、埋もれてしまう程たくさんの、
色とりどりできれいなお花に包まれて、ひょうたん島の名刺・パンフレット・つうしんなど等を持って、とても素敵な笑顔で旅立っていきました。
天国支部では、3年前にすでに行って準備してくれている?力強い協力者のくらたさんと一緒に、いつの日にか一人二人と転勤して来る皆様を迎え入れられるように、活動や勧誘、営業などを頑張ってくれると思います。皆様方も、時々空を見上げながら見守っていただけると幸せです。



ひょうたん島への母の思い・・・
母たちの「強い思い」だけで無我夢中で始めた2005年からの任意団体ひょうたん島、いろいろと教わりながら、半ば見切り発車で始めた2014年からのNPO法人ひょうたん島、ゆらゆらと漂流しながらもここまで長く続けてこられたのは、ご支援・応援をしてくださる皆様のおかげです。本当に細部にわたりお世話になっております。
これからもNPO法人ひょうたん島は、母たちとひょうたん島を利用される皆様の思いや願いを叶えられるように、そしていつの日か天国に行った時に「頑張ってきたよ」と言える様に、代表の宮鍋さん、管理者の土屋さんを中心に、ご支援応援してくださる皆様方と力を合わせて頑張りたいと思います。
これからのひょうたん島も、末永くご支援ご鞭撻を、どうぞよろしくお願い申し上げます。
樋代 景子


メッセージボード
みきさんとは、私が大学生でひょうたん島でヘルパーをさせていただいていた時に一緒でした。色々なところに一緒にお出かけに行ったことをよく覚えています。みきさんはいつも賑やかなみんなのことを優しく見守ってくれていました。ですが時々、何かのツボにハマって大笑いするのです。
私はそんなみきさんが大好きでした。みきさんの笑顔を、いつまでも忘れません。たくさんの楽しい思い出をありがとうございました。 Yより
みきさんとは、ひょうたん島や学童でたくさん遊んだよね。手をとんとんタッチするのが好きで、手を出してくれるのがとっても嬉しかったよ。いつも美味しそうに豆乳等を飲んでいるのを見て、支援の後はつい自分でも同じのを買っていました笑
ニコニコみきさん、おすましみきさん、やる気満々みきさん、ちょっと気分がのらないみきさん…どんな時も愛らしく、明るい気持ちにさせてくれたみきさん。これからはひょうたん島を照らす太陽としてみんなを見守っていてね。 ピーチ

私にとってみきさんは、可愛らしい先輩のような存在です。時々怒られる時もありましたが(笑)、一緒にマイケルジャクソンの音楽を楽しんだり、お散歩に行ったことを今でもよく覚えています。
その中で1番の思い出は、一緒にディズニーランドに行ったことです。アラジンのアトラクションに乗った時、楽しそうに体を揺らしながら満面の笑みではしゃいでいた姿に、私もとても嬉しい気持ちになりました。
どうか天国でも楽しい思い出がたくさんつくれますように。 コットン
実希さん
初めて会ったのは つくしんぼ 。かのんは寝たきりだったけど実希ちゃんはちっちゃい体で立ってた。
実希ちゃんが養護学校に入学した時、保護者の勉強会で『今から動かないと卒後の行き場や親なき後に間に合わないよ』と教わった実希ママはひょうたん島をやろう、と私を誘ってくれた。
初めて私に仕事をくれたのも実希ちゃん。スクールバス停で迎えて自宅に帰り、ママの帰りを待つ。ミルクやソリタ水を哺乳瓶でグビグビ飲んでた。かのんを保育園に預けてヘルパー講習に通いながら週3だったか?実希ちゃんと過ごした。自分でベッドによじ登り、出窓に乗ってよく外を眺めていた。ママ手作りの箱を両手に持って、それを私がトントン叩くと振動を感じて、楽しそうに唇を鳴らした。
かのんが学校に上がる時、実希ちゃんと共に地域の学童に入りたいと、市役所にお願いした。バス停から学童まではヘルパーさん、学童に入ると、職員さんに立場を変えて同じ人が見てくれたりした。
かのん2年生、実希ちゃん3年生の時、ひょうたん島スタート。毎週水曜日の放課後につくしんぼや障害者センターで保護者や子どもクラブ、その他の学生さんなどと、シーツブランコ、スイカ割り、紙芝居、人形劇、音楽療法、等々、いろんな活動した。実希ちゃんは、体感遊びや音楽が好き。よく耳をすまして唇や指や足でリズムをとっていた。学校に迎えに行くと、教室のドアの所に座っていた実希ちゃん。受付嬢と呼ばれていた。帰り道、カーステレオの平井堅のビートがお気に入りだった。ひょうたん島でプールに行ったことがあった。少し水温の高いプールに実希ちゃんは浮き輪でずっとプカプカしていた。プール大好き。
ひょうたん島が法人になって、今の場所を確保して、学校を卒業してからは、ママのお仕事が終わるのを、ひょうたん島で暗くなるまでヘルパーさんと待っていたね。たびたび体調を崩し、入退院を繰り返す。
私なんか、ちょっとかのんがてんかん発作で学校に呼び出されたりするだけで、すぐメソメソちゃうのに、実希ママはそんな状況でも弱音を吐かなかった。今回もまたすぐ退院して、元気な実希ちゃんに会えると思っていたのに、まさか。これからもずっと、親なき後もずっと、実希ちゃんとかのんは一緒に生きていくと思っていたのに。
ひょうたん島の船のオールが1本なくなっちゃって、みんな困惑している。でもまた、何とかやっていかなきゃね。
実希ちゃん、誰よりも頑張ったね。
かのんと私を今まで導いてくれてありがとう。これからも頑張るよ。見守っていてね。 かのん母
みきさんとかかわることができたのは、みじかい時間では
ありましたが、私にとっては安らぎの時でした。ひょうたん島で一緒に音楽活動したのも楽しい思い出でした。いつか一緒にお出掛けさせてもらった事が特に思い出に残っています。
牧場のあるカフェでお昼をとっていた時にみきさんがみせてくれた表情が忘れられません。あの時の風に吹かれながら、気持ち良さそうに笑っていた笑顔は、私の苦しく辛い思い出を癒してくれました。ほんとうに有り難うございました。あの笑顔はいつまでも私の胸の中に咲き続けて、私を励ましてくれることと思います。 M.Fより
みきちゃんに出会えたから、経験できたこと、会えた人、たくさんあります、います。

みきちゃんが繋いでくれたご縁をこれからも大切にするね。またいつか会えた時に、少しは立派な人になれているようがんばるので、そっと見守って、笑ってくれているとうれしいです。
ピノコ

